アドリーナは海の底で。

なんでもあり と なんにもいらない は よく似てる

 「当たり前」を下げれば自由になる

新聞を読んでいると気持ちが暗くなる。日本はこれから経済的に悪くなるばかりだ。それにも関わらず、高度経済成長の価値観を引きずり、多くを望むが故に不幸になってる人が多いように感じる。



当たり前のように百万以上する車を乗り回し、結婚式には三百万もかけ、子供には習い事や私立の学校に通わせ、休日には外食に行き、毎月数万も服を買い、エアコンは付けっぱなしにし、ミネラルウォーターを飲み、携帯代に1万も払い、30インチ以上あるテレビを買って、おまけに毎月10万ぐらい自宅購入にローンを組む。これが当たり前らしい。



それを維持するために、毎日夜の22時まで働く。どんなにツラくても妻子やローンがあるから辞めることができない。バブルのころよりも人員が減り、仕事のキツさは倍増したのにもかかわらず、給料は据え置き、どころか下がることすらある。これじゃ奴隷だ。こんなに頑張らなきゃ「当たり前」は手に入らない。もう、以前のように働いただけ発展が望める社会じゃないんだよ。



もし「当たり前」の基準を下げて、もっと慎ましやかに生活すれば、こんなに働かなくてもいいんじゃないか? もっと自由になれるんじゃないか? そう思い私は某大手製造業の技術者の職を捨てた。

これはちょっとわかるけどな…
ただ、それ、私にとっては「諦める」って事だと思うんだ。
喪女コピペなんか見てると、こいつら何かを諦めた分だけこんなおもしれーんだろうなと思うことあるわ。
ただ、まあ、そうならざるを得ずになっちゃった人も沢山いるだろうけど
ならずに済むなら、少しくらいの努力ならばしておいた方が良いのかなとは思うんだ。
まあ、増田は厳しい職場環境だったかもしれないし、別にホームレスになるほど極端な話でもない。



諦めれば楽になれるけどさ。大事な何かを失うみたいでさ〜