アドリーナは海の底で。

なんでもあり と なんにもいらない は よく似てる

 ヤマハピアノを世界に広めたピアニスト : 2chコピペ保存道場

172 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 12:24:20 ID: 63oZRhO/
ピアニスト中村紘子のエッセイを読んでいたら、イタリアの生んだ名ピアニスト、リストの再来と呼ばれたベネデッティ・ミケランジェリの面白いエピソードがあった。彼は1965年初来日。


「しかしこの初来日以来、何があったか知らないが、ミケランジェリは絶大なる日本びいきになってしまった。
その結果として、日本人の若い女性の弟子が、突然増えた。なにしろそんな中の一人で私の幼馴染だった某女流ピアニストが断言したのだから、間違いない。
「彼はね、日本人とわかると生徒にしてくれちゃうのよ」
(略)
さてミケランジェリの日本人及び日本びいきは、日本からの弟子を取るにとどまらず、日本のピアノと調律師をひいきすることにも及んだ。
恐らくミケランジェリは、日本のヤマハピアノとその技術を世界の桧舞台に本格的に紹介した、初めての第一線の演奏家ではなかったろうか。
私の尊敬する友人でポルトガルのピアニスト、ホセ・ド・セケイラ=コスタはあるとき思いがけないプレゼントを受け取った。
ある朝、自宅のドアを開けてみたら見知らぬ日本人が立っている。
「私は日本のヤマハピアノの技術者ですが、ミケランジェリ先生のご依頼により、あなたのピアノを調律にミラノからやってまいりました」
ミケランジェリはお気に入りの調律師、村上輝久氏の技術を、セケイラ=コスタにプレゼントしたのである。
この村上さんとミケランジェリとの出会いも、65年の来日がきっかけであった。そして村上さんは、その翌年の66年、ほんの一ヶ月の滞在のつもりでミラノにやってきて、結果的には4年もいることになってしまった。ミケランジェリに引き止められてしまったからだ」



173 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 12:25:28 ID: 63oZRhO/
日本の音響状況(本の上梓は'97年)についての部分もちょっと面白かった。


アメリカとの比較で言えばカリフォルニア一週分にも満たない小さな国の津々浦々に千を越すホールがあって、今やその大部分が世界一級の美しい響きとピアノを備えているのだ。
こんな国は、世界広しと言えども日本以外にはない。
なにしろいまや、ホールの響きも最高、ピアノとその調律師も最高(近年欧米ピアノ調律師のレベルはとても低下していて、来日するピアニストはみな、日本の技術者を連れて帰りたいと心からうらやましがる)しまうと、海外にでたときみじめで悲しくなってしまう。美しい響きのホールとコンサートピアノに恵まれた日本は、ピアニストにとっては本当に天国になってしまった」



177 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 12:58:56 ID: 63oZRhO/
もひとつ。「18世紀のモーツァルト、19世紀のショパン、20世紀のリヒテル」と呼ばれるほどのピアニストリヒテルも、日本びいき。プロジェクトXヤマハの回で取り上げられたから知ってる人も多いと思う。
彼が好んで使っているというので、ヤマハ知名度は飛躍的に高まった。
1979年、3度目の来日の際に、「私のピアノを作ってくれているヤマハの人たちへのお礼に、工場で演奏をプレゼントしたい」と言った。
びっくりしたヤマハ(浜松)の人々は大いぞぎで工場内のピアノ試聴室に、ピアノを整えた。観客は作業服姿のピアノ技術者ばかり。
「私はこれほど緊張して演奏した記憶がありません。何故なら、ここにいるのは本当にピアノを愛している人たちばかりだからです」
コンサートは2時間も続き、職人達は自分たちのピアノに命が吹き込まれたと涙を流した。


そのリヒテル夫妻に家族のように可愛がられた通訳者さんの本では、リヒテルの日本好きが一章をさいて書かれてた。
筆者は、「マエストロが最も愛した国はイタリアと日本であろう」と書いている。
「日本は古来の伝統と21世紀的文明が見事に調和している。そして日本人の誠実さ、正直さ、清潔さは卓越したものである」そう。
彼は日本の津々浦々を巡ったそう。「お稲荷さん」(神社のね)を気に入り、イシカワさんを知ってるかと尋ねられた筆者が知らないと答えると、「日本人のくせにイシカワさんを知らないのか。煮られてスープになったイシカワさんだ」と怒ったり、
中世からあるお祭りが今なお残っているのに感心してたり、フランス公演前の段取りの悪さには「ここは日本じゃない!」と嘆いたり…。
もっと具体的にいいエピソードがあったんだけど、本棚から発掘してからまた紹介しに来ます。



193 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 22:32:43 ID: Ir9h14kB
リヒテル発掘してきました。「リヒテルと私」河島みどり著。
「初来日のときレストランで食事をすませたマエストロがテーブルにチップのつもりでお金を置いたら、ウエーターが走ってきて「お忘れ物です」とお金を渡したこと。あるお寿司屋では店を出て100Mも歩いたとき、女将が追いかけてきて「すみません、開店十周年のお土産を渡すのを忘れていました」とすし屋の湯飲みをみなに手渡してくれたこと、これらはリヒテル夫妻にとって驚天動地の大事件だったらしい」


茶の湯や雛祭り七夕どんど焼きなど中世の伝統が生きてること、日本では公演に支障をきたすようなときでも、莫大な損失の可能性もあるのに彼の意向を利益度外視で優先させてくれること、
彼専用のピアノは外気にさらされないよう冷暖房付の特別運搬車で彼の公演スケジュールにそって時刻表のように綿密に日本をまわること。


「あるときリヒテルは親友のクリスチャンを日本に招いた。彼は日本旅館のセンスのいいインテリアと細やかな心配りや、日本料理の美の感覚と繊細な味に驚嘆し、ヤマハ組織力、機動力に脱帽した。
『みどり、私にはわかったよ、なぜスラーヴァがこんなに日本が好きなのか。完璧な条件でスラーヴァを包み込んでいるものね。すばらしい国だね』」


気難しく人見知りで凄く繊細でやさしくて。リヒテルの人間的魅力がたっぷりつまった本です。
記憶力も抜群で日本史にも強くなり、源、織田、豊臣や、ほととぎすのエピも知っているそう。



また、海浜荘という旅館で厳選された会席料理が出されて、ダイエットしなくてはならないマエストロが料理の数を減らしてしまいと女将に頼んだときのこと。


「板前さんの答えがふるっていた。
『会席料理には流れが合って協奏曲のように序曲、第一楽章、第二、第三楽章、そして終楽章となります。どれかひとつでも抜かすと構成が崩れます』
リヒテルは日本料理は本当に芸術だと感激し納得した。
遅れて来日したニーナ夫人もその話を聞いて感心した。
『すごいわね、日本のコックさんの教養の深さ、びっくりするわ。ロシアのコックなんて、いかにして上前をはねるかしか念頭にないのに』



194 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 22:33:32 ID: Ir9h14kB
最後になりますが、あのイシカワさんのエピソード。私のうろ覚えよりもっと素敵な話でした。
リヒテル曰く、


「なんということだ、自分の国の歴史的に有名な人を忘れるなんて。京都のお寺の門で絶景かなと言って
死に際して哲学的な詩を詠んでコンソメスープになった、卓絶した泥棒のイシカワさんだ」

五右衛門な(´・ω・`)


自分の耳に繊細なセンスがない事を、少し残念に思った(´・ω・`)