アドリーナは海の底で。

なんでもあり と なんにもいらない は よく似てる

 鋼の等価交換

前を走る者は、下からエネルギーを受け取り、さらに進み、下の者を引き上げる。 下をゆく者は、引き上げられ、さらにエネルギーを渡す。 これが正常な循環であり、こうして人類は平和なミミズのように進み続ける。 前をゆく者が、下から搾取のみを続け、走ることを止めた場合、下からの追撃者が現れる。 下に落とされれば搾取されると焦った先走者は、踏みつける。 踏みつけられた追撃者は遠慮を止めて争いが表面化する。 飼い殺しにされる前に気付かないと、大変なことになる。
ダンテはこれを実践し、等価交換を否定。 エンヴィーは、上の人間を信じすぎると馬鹿を見るぞと、暗に言っている気がした。 牛さんは、正常な循環を実現させることで、安定を得ようとする。 信頼関係に基づく調和のとれた循環だ。
原作の等価交換とアニメの等価交換否定は、対極には位置しないと思われる。

等価交換ではなく、「もう少し信じよう」「もう信じられない」このせめぎ合いのような気がする。 スレ違いの原因は信じる対象が違う事で、両者とも幸せになりたい気持ちは同じだ。
……こんな風に、TVシリーズを振り返ってみた。 こう考えないと、どうにも落ち着かなかったからだ。