アドリーナは海の底で。

なんでもあり と なんにもいらない は よく似てる

 「努力しても、伸びない人はいる」 武井壮の切り返しに、納得する人が多数!

■「努力しても、伸びない人はいる」 武井壮の切り返しに、納得する人が多数!
タレントやアスリートとして活躍する、武井壮(@sosotakei)さん。
自身に対してストイックで、40歳を過ぎたいまでも厳しいトレーニングを行っています。


そんな武井さんが、Twitterで『努力の仕方』について言及し、多くの人をうなずかせました!


努力ってのはそんなもんじゃねぇ

武井さんはある時、こんな言葉をいわれたそうです。

「全く同じ練習をして、ほかの人より努力しても、伸びない奴は伸びないですよ」

その人は、求める結果が出なかったのでしょうか。『努力』を否定するかのような言葉に対し、武井さんは厳しい『切り返し』をしています。

『全く同じ練習して他の人より努力しても伸びない奴は伸びないですよ、僕がそうです』だとよ。そういう人にじゃ見せて、と実技させたりすると技術的にも物理的にもまるで間違えてる事が多くて、一言指摘しただけであっさり伸びる。。『全く同じ』努力『他の人より』努力って、ただやることじゃねえよ。


「努力は、ただ闇雲にやることではない」と語った武井さん。


間違った努力を、『焼きそばの販売』に例えました。

そんなもんを『同じ努力』だなんて言うのは、例えば『僕は日本一の飲食店を作ります』という夢持ったヤツが、人気の無い場所で全然美味しく無い焼きそばを毎日10時間売ろうと大声出して頑張ったけど、少ししか売れなくて『オレは○○の社長と同じだけ働いてるのに儲からない』って嘆くのと同じだわ。


まず焼きそばをより美味しく作れるスパイスや具材や麺を探したり焼き方を学んだり、より多く売れる場所や方法を選んだり学んだり、
お店を綺麗にしたり、パッケージをどうとか、できることは山ほどある。まだできる事が残ってるのに才能を嘆く事ほど無駄なことはない『同じ努力』ってそう簡単じゃない。


努力を「ただ頑張ること」だと考える人もいます。しかし、武井さんは頑張るだけの努力を「焼きそばが美味しくなる方法やうまく売る方法を考えず、売れない場所で呼び込みをする行為」。つまり、無駄な頑張りであると断じます。


厳しい持論を展開した武井さんですが、その後「才能がない、と嘆く人を否定しているわけではない」とした上で、方法さえ間違えなければ努力は実を結ぶことを自分が証明すると語りました。


できない、才能ない、と嘆く人を否定してるんじゃないんだよ。そんな人にはまだまだ成長できる鍵も扉も山ほどあるんだって事をいつか証明するよ。まだ世界に向かって20年ひとつを頑張った人だけが評価されがちだけど、短い期間で習得したり多種目をこなす技術が本当に大事だって自分で証明してからね

武井荘、見直したわ。
タダの一発屋の色物芸人だろ?と思っちゃってたよ。
そこから生き残る術を考えた結果なんだろな。
そうか、そうだな。


私も努力の方向を間違ってた。
それは説明するとぐだぐだと長い言葉になってしまうので省くが
今の時代、私の努力は努力といえるものではなかった。
今後、今の時代がどうなってしまうのかは、私よりずっと高レベルの人たちが把握しているのであって、そこがどうかはもう低レベルな私には関係がなく、
私は私のレベルにおいて、自分の為に出来ることをしてあげなければならなかった。
たかが非正規雇用がただ上ばかりを見て、私は私をおろそかにしてしまった。
その罰を受けた。
そういう事なのだろうと思う。*1



今はもう、年功序列の時代じゃないんだ。






そうなんだぜ? 老人ども。



お前たちは、私たちを切り捨てた報いを受けなければならない。


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追記。


焼そばを焼いてたオジサン?は「美味しい焼きそば」ってのがなんなのかわかんなかったんだと思う。
だから頑張っても無駄なんだよね。
だったら誰かにすり寄って美味しいレシピを教えてもらう方が速いって訳だ。


つまりどうやったらレシピを教えてもらえるか、媚び方を考えるのが正しい努力って訳さ。
それが今の要領の良さで、才能って事。
いるだろ?やけにお行儀のいい子。
好きだろ?そういう子。





どうして今、新しく面白い物が生まれてこないのかわかったかい?

*1:念の為に記しておくが、これはただの皮肉だ

*2:それでも、私たちは「私たちの世代はもうどうにもならないんじゃないか?」という気持ちを「持ってしまっている」。だからこそ、せめて「”老人”に報いを喰らわせなければ気が済まない」という想いでいるのだ。それは、年功序列という嘘で、老人のいう事を聞いていれば幸せがもたらされると、進んで苦労を背負った私たちを騙した報いだ。

*3:人を呪わば穴二つと言うが、呪わなくとも自分の穴は他人によってもう掘られているのだから、「人」の為にもうひとつ、私が穴を掘ったところで、私の未来が何になるというのだろう?(鴻上庄司の戯曲にあった「自分の穴は他人によってもう掘られている」とはこの事だったのか…と今知った。高校生だった私にはわからない感覚だ。……でも今はわかる)

*4:少なくとも私の気が晴れるのならば、いっそ、それでいいじゃないか? 私は過去にもそう言った。そういう私たちの自棄っぱちで、人生を棒に振らされる人間がみれることは、いっそ、小気味良い事だ。

*5:こう考えることは一つの思考実験であるが、これが私の気持ちに矛盾を生じなかったことを記しておく

*6:それを踏まえて、私は本当の意味で、私に日が差す方向へ延びればいいという事になるのだが、ただ、そう考え続けるにはかなりの無理が必要だ。

*7:子供の頃、七人岬を恐ろしいと思ったことがあったが、アレは単純な、生態系の波でしかなく、私がそれになったとしても、何も罰されることはなく、ただ過去を忘れ成仏するのみであろう

*8:七人岬は殺されることで、他人に害をなす免罪符を受けるという事なのだろうか……? この考えが、子供の頃は納得できなかったが、今の私には、否定できないのが悲しい所でもある

*9:そう思えば、昨今の親による子供の殺傷事件に比べれば、何か違った別の何かに訴えた奴らはまだ潔かったのかもしれないなどと思ってしまうのは、当然よくないことなのだろう。

*10:わが子を殺傷した親に寛容な世界って、優しいの?