アドリーナは海の底で。

なんでもあり と なんにもいらない は よく似てる

 ハウルの動く城。

久しぶりっつーか、映画館ぶり?
↓ネタばれすまん











好きな人には申し訳ないけど、私はあんまり良い映画だとは思わないんだよね。
まあその辺は世間でもやっぱり賛否両論だったらしいけど。
だって…後半戦のぶっ飛び方がスゴイよねw
お話が破たんしてるものw
あまりにも???だらけな映画だったから、気になって一応原作は読んでみたんだよ。
こっちはちゃんと落とし所があったね。面白かった。
戦争の場面なんかでてこないし、カブは王様の弟だったかな。愛する人とのキスで魔法が解けるとかそういうメルヘンな話ではなかったと思う。
ペンステモン師匠はソフィーに「このままではハウルはダメになる」って言う。
…当時の私の感想ではたしか、
宮崎駿はきっと原作を読んで、なんで"ハウルはダメになる"って言われたのかわからなかったんだ」って思ったんだよな。この映画のハウルの問題って何なの?って。
だから代わりにもっと大きな問題の「戦争」が出てきて、後半戦の大暴騰へつながるわけだよ。
宮崎駿って戦争シーン好きだし、うまいよね。
その割に「戦争反対」って言わせるの好きなんだよね。
まあ、生まれた時の環境に影響されてるんだろうけどね。



原作ではカルシファーとの契約ももっと大きくとらえられていたと思う。
大事なのはあの黒い扉の向こうだった気がする。(読んだのがかなり前の話だから朧げだけど)とりあえず戦地ではなかった。あの小屋があるとこだね。
映画では過去への扉をピンク色に変えたとこが宮崎駿の感性なんだなとは思う。
きっと監督にとっては幼い頃の思い出って良い思い出なんだよ。
監督の子供の頃はきっと、たとえ環境は悪くとも母は強く優しくてきっと暖かく包んでくれたんだと思う。おじいちゃんもおばあちゃんも守ってくれて、兄弟も喧嘩はしたけど暖かかったんだろう。だからピンク。
でもハウルはきっとそうじゃない。
味方であるべき身内が、味方じゃなかったんだよ、
それは子供にとっては非常に孤独を感じるものだよ。だから過去への扉は黒なんだ。
原作ハウルって他人を遠ざけてる割に、根っこの部分は極度の寂しがり屋なんだよ。だから本当は、カルシファーとの契約はハウルが自分で解除しなきゃいけなかった。それは彼が自分を縛っている「依存」という鎖から解き放たれる為のきっかけになるんだ。それはカルシファーの為でもあり、ハウル自身の為でもあるんだよ。彼はそれに自力で気づかなきゃいけないんだ。
…映画ではソフィーがぶち壊しちゃったけどさ。*1
カルシファーが戻ってきた時、もし原作ハウルだったら、あんなにあっけらかんと「戻ってこなくてもよかったのに」なんて…絶対に言わないよ。



でも流石に絵はいいよね!w
動く動くw
階段登るシーンが一番好きだw
あれは本では描けないよねぇ〜w
あと城の外観とか、爆発の迫力や、火の感じなんかは流石だよね。
やっぱり荒地の魔女が一番好きw 三輪様サイコーw



でもこれでジブリを見に行くのは最後だったかな〜
あれ?千のほうが後だっけ? まあいいや。
千も正直…結構不安定だと思ったんだよな。何とか形は保ってたけどさ。
で、次がぽにょでしょ? 絶対意味不な話だと思ったからさ。未だに内容知らない。



あ、でもゲドはみたかな?アレは吾郎だったし。
来週は吾郎のコクリコらしいよー

*1:私には「清純で母性的な女の子が何もかもなんとかしてくれる」という幻想に見えた